新しい学期も始まり、桜も散ったところですが、
色々と発想を鍛えるために新国立美術館、「アーティストファイル2009」に行ってきた。 展示は今活躍中の若手作家の展示だったけど、なかなか見応えもあり、楽しめる展示だった。 (写真はグーグル検索からの拝借ですが、通報しないでね☆) まずは大平寛の作品、「サンタ・アナの風」 これはちょっとよくわからなかったんだけど、藤壺とかマカロニなどの 自然が創り出す官能的な美をスケールを大きくして表してるように感じた。 (マカロニは自然じゃないですがw) 白いキューブの中に、対立的な形態を置くことによって空間が歪む。 それはカタチの多様性を表しながら、仕掛けとしての対立性を含んでおり、 最近の空間構成の王道的?な方法論の一つだと思う。 (対立的なモノを置くこと) 中も覗けて、風を感じたかはわからないけど、「視覚」だけで空間体験をした感じは 身体感覚として新しかったので、良かった。w 次に、写真家の石川直樹の作品。 彼は「ヴァナキュラー」という写真集を出しているが、その中の何点かを展示していた。 名前通り土着的なコンテクストを主題に様々な国の風景を写し取ってるんだけど、 南極に都市があったり、山や土なりに家を造っていたり、氷山のフォルムの美しさだったりと、 自分の既成概念を揺さぶる風景が目の前に広がっていて、 リアルなのにヴァーチャルな印象を感じた。 写真のことは詳しくはわからないけど、構図と眼が重要なんだと思う。 世界の物事をどう解釈してフレームに納めるか、空の雲の微細な動き、水溜りに反射する風景、 人の表情の変化、心、などなどを過剰に、詩的に見通す高解像度の眼が必要なんだと思う。 しかもそれを動きながら、身体感覚を全て使ってカメラを添える様は、 身体の関節同士の滑らかな関係のなかで、風景が切り取られるプロセスを見ているようで、 写真家の身体性は個人的に興味深い。 次は斉藤芽生と村井信吾。 斉藤芽生は女性特有の、官能的な感覚が表現された作品だったけど、 やっぱりよくわからないw 作品一つ一つのディテールや、数の力を感じはしたけど… んー、アーティストの社会性の無さが浮き彫りになる作品だと思う。 こんな作品を作り出しても、アートマーケットの漂流に乗っかることしか生きる道がないようで、 現実から逃避して内向きで恣意的な、他力本願の作品にしか感じない。 現実から逃避することで現実を超えることは出来ない。 だって現実は、どんな夢をも超越しているから。 村井信吾はドナルドジャッドよろしく、コンセプチュアルな石のオブジェが並んでいて、 クールな印象だ。 上部に水が張っていて、風で揺れる。 当たり前の現象だけど、wアーテフィシャルとナチュラルとの融合によって 作品の意味と機能が付加され、強度がでる。 そういう意味で勉強になったけど、特別に何かは得なかった。 お寺に置いてあったらいいなと思ったぐらいw ていうか、大層に美術館で見せるんじゃなくて、 いっそお寺に差し上げるだけの方が、作者の行為として抜群にカッコイイ。 僕はアーティストにはなりたくない。 アーティストは見せるという「欲望」に対して過剰過ぎるからだ。 本当は「差し上げる」べきなのに、それを実行する人は少ない。 次にピーターボーゲルス、宮永愛子。 ピーター(呼び捨てゴメン)の作品はちょっと自分の頭の悪さでよくわかんなかったけど、w なんだろう、いわゆる映像空間の中に身体が置かれるって事に意味が生じると思うんだけど、 空間の動きだったり、光だったり、音だったり、 それを浴びることによって自分も映像の一部になるような、(人影を発生させる装置となる) 「参加」型のインスタであって、その仕掛けが僕らを干渉する(自動的に参加させる、作品化させる) っていう現代美術の特性を鮮やかに仕掛けた空間作品だ…と言える…かな?w まぁしょせんヘタレ美大生の感想です。 宮永愛子は一番気になった、好きな作品なんだけど、 ナフタリンという見た目にも実際も脆い素材で作品を作っている方のようで、 既知的なモノをその素材で作ってるんだけど、透明感があって単純に美しい。 (確信犯的でズルいけど、シニカルなものよりずっといい) まず、アーティストって作品を永遠に温存させがちだけど、 彼女はあえてそこに賞見期限を与えている。 彼女の作品は作品というより、その場限りのインスタレーション。 壊れていく経過を確認することはできないけど、 その表現自体が詩的で美しく、様々な想起を与えてくれる。 例えば日本の禅庭のように、水を抜いて水を感じさせるといった 「見る」ための装置が仕掛けられているのだ。 こういった思想は、日本的であると思う。 友人にこんな話を聞いたことがある。 昔の日本人は、現世の人を「空蝉」と詠んでいたそうだ。 蝉の抜け殻のように、脆く、儚く、そしてイレモノであり、ただの器であった。 そして現実の「現」とは、「空」から生まれたもの。 音の鳴らない鈴を木の枝にぶら下げて、風のような、魂のようなものが入るのを、待ってる。 ウツなる器に「何か」が入り込み、「音連れ」て、その訪れに対して「言葉」が生まれ、 言葉が「何か」を指し示したことで、ウツが現世にあるものとなり、「ウツツ」となったそうな。 彼女の作品はぼんやりとした、そんな夢うつつなものなのかもしれない。 とまぁ、脱線しましたが、色々と見て刺激にはなりました。 自分が創る作品にどう影響するか、しない臭いけど、w でもいつかきっと役に立つことがあるはずです。 少なくともその「期限」をつくることっていうのは色々考えさせられた…。 んーがんばろ! 最後に平川滋子の作品 「光合成の木」なる代物らしいけど、木に蛍光塗料を塗ったフリスビーがくっ付けられている。 太陽光によって本当に色が変化するみたいだ。 いやはや、最高にシニカルで痺れる!w 俺もこれぐらいのことやって、真面目な建築界にシニカル旋風を巻き起こしたいところだ! (けちょんけちょんにされる)
by kaba0219
| 2009-04-28 00:50
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